地震雲という言葉が使われ出したのはほんの数十年前。
特定の雲の形状が地震の前兆であると発見した元奈良市長・鍵田 忠三郎さんが名付け親です。
鍵田さんは雲をみていくつかのMEGA地震を予測したことで知られていますが、いったいどのような地震を予測していたのか?
地震雲という言葉が定着するまでの流れと併せてご紹介していきます。
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地震雲の発見者&命名者は元奈良市長・鍵田忠三郎さん
特定の形状の雲と地震の関連性に気付き『地震雲』と命名したのは、故・鍵田忠三郎(かぎたちゅうざぶろう)さんです。
鍵田忠三郎(奈良市生・1922年~94年・享年72)
日本の政治家。奈良市長、自民党所属の衆議院議員(1期)、地震雲の研究者、剣道家でもあり、奈良県剣道連盟会長、奈良県なぎなた連盟会長も務めた。
鍵田さんは奈良市長や衆議院議員も務めた高名な政治家。
自らの名誉を傷つけるようなデタラメを言うとは思えず、地震雲を利用した地震予測のエピソードには信憑性があります。
鍵田忠三郎さんは地震発生を予測できた
鍵田さんは戦前の幼いころから自然界や生物の変化で天気予測する「観天望気」にこだわり、観測を繰り返すうちに地震の前兆となる雲を見抜けるようになったのだとか。
地震の発生前には直線帯状の雲や特殊な形状の雲が出現することに気付き、戦後間もない頃にはそれらの知識を使って地震を予測出来るまでになっていたといいます。
この鍵田さんの技術が注目されだしたのは1948年のこと。
ある日、病気療養中だった鍵田さんは、奈良市上空に出た黒ずんだ蛇のような細長い異様な雲を発見します。
地震の発生を予測した鍵田さんは、お見舞いで訪ねてきた当時の奈良県知事・野村万作氏に「大地震が来る」と警告。
その二日後、実際に福井地震(M7.1・死者3769人)が発生したため、野村さんは大変驚いたそうです。
地震の前兆となる雲を地震雲と命名
福井地震以降も、鍵田さんは雲を見て何度となく地震発生を予測し的中させました。
その結果、特定の形状をした雲を地震発生の前兆ととらえ、『地震雲』と呼ぶようになります。
奈良市長に就任後、大阪地方気象台課長(のちに奈良気象台長)の堀清一氏と知り合った鍵田さんは、雲による地震予測技術について説明。
これに驚いた堀氏が『現代の怪奇』(大陸書房)の中で地震を予知する奈良市長として紹介し地震雲の呼び方が広まっていったのです。
市長就任後に地震発生を予測し的中させた事例
鍵田さんは20年にわたって地震雲日記をつけ、予測が的中した件数は数百にもなっていたといいます。
市民を災害から守らなければいけないという責任感から、奈良市長時代には幾度も地震予測を披露。
以下では当時の予測的中エピソードの一例をご紹介します。
予測が的中した事例:伊豆大島近海地震
昭和53年・1978年1月14日、伊豆大島近海地震(M7.0)が発生。
25人の死者行方不明者を出し、伊豆半島を中心に各地で激しい山崩れや道路崩壊が起きました。
その2日前となる1月12日、伊豆から遠く離れた奈良商工会議所において、鍵田さんは大勢の前で地震発生を予測していたのです。
議場には自治会長や市会議員など250名の人々が集まり、その中には報道関係者も混じっている中、鍵田さんは次のように発表します。
「人間一生のうちに、力の強い大きな地震雲に合うというのはそうそうめったにありません、しかし今その異常な雲が出ております。 皆さんもよくご覧になって、必ず大きな地震が起こりますから、よく覚えておいてもらいたい。 この地震雲が出ると48時間以内に、この雲のさす方向でマグニチュード7以上の大きな地震が起こる・・・」
*引用:『決定版これが地震雲だー雲はあなたを大地震から救ってくれる』(鍵田忠三郎著・NGS)
この発言に皆大騒ぎとなったと当時の事を回顧しています。
その時の空が下の写真。
直線帯状の地震雲が生駒山から奈良市上空(東の方角)へ向けて延びています。
さらに鍵田さんは次のように断言しています。
「雲は決してウソは言わない、一定の異常な雲が出ると、一定の地震が起きるモノなんです、雲に嘘はありませんので、必ずマグニチュード7以上の地震が48時間前後に起こります」
*引用:『決定版これが地震雲だー雲はあなたを大地震から救ってくれる』(鍵田忠三郎著・NGS)
この時、鍵田市長は「地震発生は東の方の関東であろう」と予測。(直線帯状の地震雲は先細りとなる方向が震源となるため)
さらに、当時共同研究者だった九州大学真鍋教授から温度が異常に高いという情報をもらい、「震源は伊豆方面だ」と判断しています。
この2日後には予測通り伊豆でMEGA地震が発生しており、鍵田さんが指摘した直線帯状の地震雲が前兆現象の一つだったことが分かります。
予測が的中したその他の事例
伊豆大島近海地震以降も鍵田市長の予測的中は続きます。
●宮城県沖地震(1978年6月12日・M7.4・死者28名)
2日前に奈良で長大な白帯状の雲を発見、東が先細りで色が薄めだったことで遠方・東北地方が震源と予測、水道局職員30人の前で公言し的中
*引用:『決定版これが地震雲だー雲はあなたを大地震から救ってくれる』(鍵田忠三郎著・NGS)
●浦河沖地震(1982年3月21日・M7.1)
2日前に奈良市北方に4~5本並ぶ雲を発見、並ぶときは直角方向に震源ありとして、事務職員達に「2日後北海道で大きな地震がある」と語り的中
*引用:『決定版これが地震雲だー雲はあなたを大地震から救ってくれる』(鍵田忠三郎著・NGS)
●日本海中部地震と大津波(1983年5月26日・M7.7・死者104名のうち津波死者100名)
3日前に奈良で断層状の雲を南北と東西で発見、過去の観測経験から「東北か北陸で満月 の27日前後にM7以上が起きる」と大安寺住職はじめ220人の前で公言。 また中曽根首相秘書・新田氏との電話にて、同様の予測内容を伝えて的中
*引用:『決定版これが地震雲だー雲はあなたを大地震から救ってくれる』(鍵田忠三郎著・NGS)
上記から地震雲には複数の直線帯状や断層状のものがあることが分かります。
地震雲は単なる気象現象との見極めが難しいのですが、長年雲の観察を行った鍵田さんには簡単なこと。
実際、上記以外にも地震の発生日や大まかな震源地を度々的中させています。
このことから、鍵田さんのいう地震雲が地震の前兆現象であることは間違いないのです。
まとめ
今回は地震雲の発見者である元奈良市長・鍵田忠三郎さんをご紹介しました。
20年に及ぶ観測で地震の前兆となる地震雲の存在を確信。
地震雲をもとに発生日や震源エリアを度々的中させました。
オカルト扱いされがちな地震雲ですが、それは単なる気象現象と見分ける技術がないから。
鍵田さんのように見分ける技術を磨いていけば、きっと前兆現象として地震発生の予測に役立つことでしょう。
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●作成者:原 経厳
・・・元番組制作ディレクタープロデューサー、長年にわたり地震前兆関連の調査・取材等を続けつつ、現在はフリーで映像コンテンツ制作プロデュース、短編映画製作プロデュース等に携わる。
●構成・編集Support:原 洋
・・・フリーライター
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