南海トラフ巨大地震は過去に何度も発生しており、その周期から今後30年以内に起きる可能性が非常に高いと指摘されています。
そんなMEGA地震から生き延びるには、被害を予測し十分に備えることが大事。
過去に発生した南海トラフ巨大地震において、自分が暮す地域にどんな被害があったのかを詳しく知っておく必要があります。
そこで今回は、過去に発生した南海トラフ巨大地震の被害記録をご紹介します。
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過去に発生した南海トラフ巨大地震
下の年表は、過去に発生した南海トラフ巨大地震をまとめたものです。(飛鳥時代以降で記録に残っているもの)
<過去におきた南海トラフ巨大地震>
年 | 名称 |
684年 | 白鳳地震 |
887年 | 仁和地震 |
1096年 | 永長東海地震 |
1099年 | 康和南海地震 |
1361年 | 正平東海地震と2日後の正平南海地震 |
1498年 | 明応地震 |
1707年 | 宝永地震 |
1854年 | 安政東海地震と翌日の安政南海地震 |
1944年 | 昭和東南海地震 |
1946年 | 昭和南海地震 |
(*1605年に発生した慶長地震も南海トラフ巨大地震であるという説もあります)
上記のなかで、被害の記録がしっかりと残されているのは明応地震から昭和南海地震までの5つ。
次章以降ではこの5つに関する被害記録をご紹介していきます。
過去の被害記録:明応地震
*引用:日本経済新聞
戦国時代初期、北条早雲が勢力拡大していた1498年8月末、静岡沖でM8超えの明応地震が起きて大津波が発生し、三重から神奈川の広範囲に壊滅的被害が出ました。
津波の高さは紀伊半島~千葉の広範囲で5~8m、三重・鳥羽では15m、静岡・西伊豆では22m、沼津戸田の平目平は36mにも達したと言われています。
静岡の浜名湖岸では陸部分が消失して海とつながり、駿河湾エリアだけで推定26,000人の溺死者が出ました。
明応地震は東西の連動型だった
*引用:共同通信
近年の調査により、明応地震は西側の南海で発生し、その約1か月半後に東海でMEGA地震が連動して発生した可能性が指摘されています。(元東大地震研究所助教授・都司嘉宣氏の調査)
実際、和歌山で津波によって村が壊滅し生存者が移住した記録が残っており、検証の結果、東海側の地震だけでは大阪湾に近い和歌山に大津波は襲来しないと判明。
よって、明応地震は東西二つのMEGA地震の連動型だったと考えられるのです。
過去の被害記録:宝永地震
*引用:地震調査推進本部
1707年10月、宝永地震(M8.6)が発生し、九州から北陸、東海で一斉に震度6以上の揺れが起こりました。
各地で20分以上も揺れが続き、愛知では木曽川堤防の崩壊で洪水が発生。
大阪では家屋倒壊で圧死者5,000人以上、高知浦戸湾では20キロに渡って2mも沈降しました。
津波は18時間で11回。
3回目が最大で特に大阪の人的被害が著しく、多数の船が人々を巻き込みながら遡上するなどして、溺死者は16,000人超に達したとみられます。
その他、各地の被害は次の通りです。
- 須崎は20m級の津波
- 高知の家屋は12,000戸流失、死者2800人超
- 和歌山・三重の波高は4~10m
- 下田では津波で800軒以上が流失し、11名死亡
- 大分佐伯の波高は11m
- 長崎や有明海の波高は1~3m
- 離島の鹿児島・西表島の波高は8m
過去の被害記録:安政東海・南海地震
*引用:NHK
幕末の1854年11月4日9時頃、静岡沖の東海エリアでM8.4の安政東海地震が発生。
沼津藩士の手記では「地に身を伏せても1mも揺さぶられた」といいます。
このMEGA地震の規模は、推定で静岡・神奈川・山梨が震度7、東京から大阪・福井にかけて震度6以上。
東海道の宿場は各地で全壊、江戸城日比谷門も大きく傾きました。
また、東海から紀伊半島の広範囲に津波が襲来、三重では20m超えの場所も。
伊豆下田では地震発生後1~2時間で津波が8回も襲来し、街の95%が消える被害となったといいます。
32時間後、安政南海地震が発生
*引用:大阪歴史博物館
安政東海地震が起きた翌日11月5日の夕方、今度は四国沖で安政南海地震(M8.4)が発生。
四国や関西・瀬戸内まで広く震度6以上となり、紀伊半島は1m以上隆起、高知は逆に1m沈降、愛媛の道後温泉は4か月以上お湯が止まりました。
再び大津波が襲来し、高知・和歌山では5~8m。
大阪では宝永地震同様に数百隻の大船がすべて街中の堀川に押し上げられ、橋や川沿いの家を破壊しながら遡上し、多数の犠牲者も出ました。
過去の被害記録:昭和東南海地震
戦時中の1944年12月、三重尾鷲沖でM7.9の昭和東南海地震が発生するも、戦時中のため報道隠ぺいを受け、当時ほとんど国民に知らされませんでした。
しかし実際には和歌山・三重・愛知・静岡で津波が発生し尾鷲では最大9m。
推定1,223人の犠牲者が出ており、軍用機をつくる中島飛行機半田製作所では工場が倒壊し150人以上が亡くなりました。
過去の被害記録:昭和南海地震
終戦の翌年1946年12月の年末、今度は和歌山潮岬沖でM8.0昭和南海地震が発生。
高知・徳島・和歌山等で5~6m級の津波となり、場所によっては数分で押し寄せ、犠牲者が全体で1,330人になります。
高知市は空襲の爆撃被害が残る中のダブル被害となり、浸水が年明けも続き、街中では船が交通機関となったのです。
まとめ
過去の南海トラフ巨大地震では、いずれも強い揺れと津波が起きています。
特に津波は想像を絶する高さになる可能性が高く、太平洋側にお住まいの人は海抜30m以上の避難場所を前もって確認しておくべきです。
地震が発生してからでは遅いので、「いつか確認しよう」ではなく、「今のうちに確認しておこう」という意識を持ってください。
(なお、MEGA地震発生に備えた防災グッズ関連はコチラでご紹介しています。)
●作成者:原 経厳
・・・元番組制作ディレクタープロデューサー、長年にわたり地震前兆関連の調査・取材等を続けつつ、現在はフリーで映像コンテンツ制作プロデュース、短編映画製作プロデュース等に携わる。
●構成・編集Support:原 洋
・・・フリーライター
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