【MEGA地震の前兆と予測!】地震光・光の警告7 危機回避に活かせ!

光の警告・地震光




前回は太平洋戦争中に発生した三河地震について、地震光の目撃証言とそこから得られた教訓をご紹介しました。

残念ながら三河地震では、目撃した地震光を地震の前兆と考える人がほとんどおらず、その結果大勢の犠牲者が出てしまいました。

一方、三河地震より以前に起きたMEGA地震・関東大震災では、地震光をもとに災害の発生を予測し、防災行動に役立てた人達がいます。

そこで今回は、関東大震災において目撃された地震光と、それをみて危機回避行動をとった人達についてご紹介していきます。

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関東大震災で目撃された地震光

関東大震災

1923年9月1日正午前、歴史的なMEGA地震・関東大震災(M7.9)が発生し、10万人以上の犠牲者が出ました。

特に火災被害は最悪で、火の竜巻・火災旋風が何本も襲来し、墨田区本所では3万8000人以上が焼死したのです。

そんな関東大震災では、発生前に地震光が多くの人々によって目撃されています。

8月28日(地震4日前)午後8時から9時のおよそ30分間にわたって火柱が立っていた。 この火柱は稲妻のような色をして、音響はまったくなく、形状は花火のように地上から空中に立つと、四方八方に割れて、清澄公園のあたりから本所の西方にかけて最もよく光り、昼のような明るさであった。

震災の前々日(8月30日)東京市の空の一部に猛烈にかなり長時間にわたってみえた音響なしの光があり、近所の人も最初は珍しげに見物していたが、次第に不気味となり、眺める人もだんだんと減り家に入った。

9月1日(地震発生当日)の朝、深川より東京湾の方でピカピカ光っていた。 付近の人々もこれをみて不思議に思っていた。

*引用:『地震のおこるとき』亀井義次

関東大震災の前に目撃されたのは、「稲妻のような色をした火柱」や「音響なしの猛烈な光」、「水面の発光」など。

いずれも非常に珍しい光景であり、それらが関東大震災の数日前という短い期間に集中していたのです。

芥川龍之介は関東大震災を予測していた

芥川龍之介

地震光を目撃したわけではありませんが、自然のなかで起こる奇怪な現象が天変地異の前兆であることを知っていた人物がいます。

それはかの有名な芥川龍之介

彼は著書『大震雑記』のなかで、関東大震災の発生を予測していたことを明かしています。

予測の根拠となったのは、芥川龍之介が鎌倉平野屋に宿泊していた際(1923年大正7年8月の終わり頃)、宿の周りで本来5月に咲くはずの藤・山吹・菖蒲などが咲き乱れていたのを目撃したこと。

それをみた芥川龍之介は、「何種類も花が狂い咲きするのは明らかに変だ。天変地異が来る」と予測しました。

当時小説家仲間だった久米正雄からは「頭がおかしくなった」と嘲笑されたようですが、1週間後の9月1日には、関東大震災が発生しています。

これをうけて久米正雄は、芥川龍之介に対し「君の予言は当たった」と敬意を払ったそうです。

なお、関東大震災の発生前には、赤い月、ネズミの大移動、ナマズやウナギ、ハゼ、アユ、カニといった水生生物の異常行動などが各地で目撃されています。

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地震光を危機回避に役立てた人々がいた

関東大震災による火災

多くの人が地震光を単なる不思議な現象と捉えるなかで、芥川龍之介のように天変地異の前兆と考えて危機回避に役立てた人もいました。

亀井義次氏の『地震のおこるとき』には、そういった人々に関する記載もあります。

漁師たちの危機回避

当日の11時頃(地震発生の約1時間前)、熱海沖にある初島付近で水平線上に稲妻が走った。 音(雷鳴)は聞こえなかったが、「大変なことがおこるぞ」と話し合い、漁をやめて岸に引き返した。

(『地震のおこるとき』 亀井義次著)

漁師達は音のない雷光をみて岸に引き返しています。

「大変なことが起こる」と察知したようですが、なぜそう思ったのでしょうか?

それはおそらく、代々伝わるMEGA地震の伝承があったから

遠い昔にも海上が異様に光った後にMEGA地震が発生しており、漁師の先祖達はそのことを言い伝えとして子孫に残していたと考えられます。

言い伝えを単なる迷信・オカルトと考える人が大勢いる一方で、漁師たちはそれを真摯に受け止めてすぐに防災行動をとりました。

この判断の違いが生死を分けたといっても過言ではないでしょう。

余震時の危機回避

関東大震災発生からしばらくは余震が続きました。

とくに翌日にはM7クラスの大規模な余震が2回も発生しており、この時に亡くなった人もいたことでしょう。

そんな中、余震の地震光を見て危機回避に役立てた人もいました。

関東大震災のあと、2、3、4度と余震が続いた。 その余震が起こる前に必ず発光現象が伴うので、「あっ、また光った、それ、地震」 というように、家をとびだして避難をする者もあった。

(『地震のおこるとき』 亀井義次著)

余震のあるたびごとに、埼玉県川口町(現在の川口市)で、屋根の上で見張りをしている人が、東京湾方面に立ち昇るガスや光の大きさを見て、次の余震は大きいとか小さいとか、必ず言い当てたのは事実だ。

(『地震のおこるとき』 亀井義次著)

  • 「MEGA地震には発光現象(地震光)が伴う」
  • 「光の強さを観察することで揺れの大きさが分かる」

この二点は前回の記事でご紹介した三河地震の被災者が教訓として語っていたこと。

本震直後の大混乱のなか、冷静に地震光を観察し、それを危機回避に役立てた人が生き残ったわけです。

まとめ

この記事では、関東大震災において地震光を目撃し、それを危機回避に役立てた事例をご紹介しました。

本震前の漁師たちにしろ、余震時に地震光を観察していた人々にしろ、共通しているのは地震光をヒントにして危機回避行動をとったこと。

地震光は決してオカルトや迷信などではなく、過去の経験から証明されているれっきとした科学です。

よって、万が一地震光を目撃した際は、すぐに防災行動をとるようにしてください。(MEGA地震発生に備えて防災グッズを買い揃えておきたいという方はコチラをご覧ください)

なお、次回は地震光が光る仕組みについて詳しくご紹介します。

●作成者プロフィール

原 経厳・・・元番組制作ディレクタープロデューサー、長年にわたり地震前兆関連の調査・取材等を続けつつ、現在はフリーで映像コンテンツ制作プロデュース、短編映画製作プロデュース等に携わる。

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