【MEGA地震の前兆と予測!】地震光・光の警告5 江戸時代の記録続編

光の警告・地震光

前回は江戸時代におけるMEGA地震の記録に目を向けました。

そこで目撃された空が赤くなるという現象は、阪神淡路大震災の数日前から起きていた現象とよく似ており、MEGA地震光の前兆である地震光だったと考えられます。

実のところ、地震光にはいくつかの種類があり、それらもまた江戸時代に発生したMEGA地震の前、あるいは発生中に目撃されています。

そこで今回は江戸時代に目撃された様々な地震光をご紹介していきます。

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異常な発光現象が集中したらMEGA地震の前兆?!

*写真はイメージ

筆者は阪神淡路大震災を経験した人達に聞き取り調査を行いました。

当時の生々しい証言が多数得られるなか、次のような発光現象について証言をした人がいました。

<神戸市在住(当時)の女性の証言>

地震2日前の夜だったと思うが、駐車場に車を停めた時、青白い光の筋のある火の玉が低空に走り、とても不思議だった。

火の玉というと霊的な現象や見間違い、オカルトを指摘する人がほとんどのはず。

しかし、それが阪神淡路大震災の2日前だったことを考えると、関連性を疑わずにはいられません。

また、阪神淡路大震災では他の異常な発光現象に関する証言もあります。。

  • 稲妻のように光ったが無音だった
  • ジグザグに夜空を動く発光体をみた
  • 夜中なのに空が青白く光り、かなり明るかった

光り方や色についてはバラバラですが、いずれも非常に稀な現象であり、阪神淡路大震災発生前の数日間に集中しています。

このことから筆者は、『異常な発光現象は地震光であり、それが集中するのはMEGA地震の前兆だと考えています。

長野・善光寺地震で目撃された数々の地震光

1847年(江戸時代末期)5月21日の夜10時頃、現在の長野~飯山市付近でMEGA地震・善光寺地震(M7.4)が発生し、甚大な被害が出ました。

山崩れ、崖崩れ、大火災、家屋倒壊、地震後のせき止湖の洪水といった被害が出てしまい、1万人前後が亡くなったのです。

特に被害が大きかったのは善光寺とその周辺。

御開帳による参拝者が全国から集まり、周辺の宿には7,000人以上が泊まっていた最悪のタイミングで起きたため、このエリアだけで1,700人もの犠牲者が出ました。

善光寺地震発生直前の地震光

善光寺地震が発生するほんの少し前(恐らく数分前)、町のあちこちで奇怪な発光現象が目撃されています

ある髪結いは飯綱山の方に火のごとき雲が現れたので、怪しんで見つめていると、その雲がくるくる回って消えると同時に山鳴りがして大きく揺れた。

(『地震なまず 時雨の袖』武者金吉

足軽の丸山熊太郎 田村九十郎は、線内村より川中島にかけて、大きな火の玉が時々飛行しているのを見た。

(『地震なまず 信州丁未茶談』武者金吉)

須坂の陶器職人・九兵衛は米子村で電光のような光を目撃し、まもなく地震になった。

(『地震なまず 信州丁未茶談』武者金吉)

火のごとき雲』や阪神淡路大震災で目撃された赤い雲と似ており、典型的な地震光です。

また、『大きな火の玉』は阪神淡路大震災における『ジグザグに動く発光体』、『電光のような光』は『無音の稲妻』とよく似ています。

このように二つのMEGA地震で似たような発光現象(地震光)が複数目撃されているわけですから、偶然の一致ではないはず。

とくに善光寺地震では発光現象が起きてから地震発生までわずか数分だったと思われ、もし同じような発光現象を目撃した場合は、速やかに防災行動をとる必要があります。

善光寺地震発生中にも発光現象が目撃されていた

奇怪な発光現象がMEGA地震発生と関係している証拠として、善光寺地震では地震発生中にも発光現象が目撃されています

岩倉 藤倉の崩落したるとき、安庭村明るくなり、屋の隅々まで昼のごとく見えしとぞ

(鎌原洞山地震記事)

城下四町五町隔たり、往還より三四町脇、田の中地震にて割れ、冷水い出て、 その水中にて青き火燃え候由、皆々見物に参らし候

(鎌原洞山地震記事)

この二つの記録から、山間部や田んぼで地震発生中に発光現象がおきていたことが分かります。

江戸時代に光源となりそうなものといえばロウソクか提灯くらいのもの。

いずれも山間部や田んぼの中に多数あったとは考えにくく、目撃されたのは人工的な光ではありません。

そもそも、ロウソクや提灯では「昼間のごとく見えし」といえるほどの光を発することはできないでしょう。

よって、奇怪な発光現象はMEGA地震による地震光だと考えられるのです。

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安政江戸地震で目撃された数々の地震光

*引用:『地震なまず』武者金吉

1855年(安政2年)11月11日、世界一の大都市(人口約100万以上)になりつつあった江戸を直下型MEGA地震・安政江戸地震(M7.0~7.2)が襲い、家屋倒壊や大火災などで1万人以上が亡くなりました。

前々年にペリーが来航、前年にはM8超えが2日つづけて起きた安政東海・安政南海巨大地震が発生し、日本に大混乱が続いていた時期。

そんな時期に夜の江戸を直撃する安政江戸地震が起きたのです。(震源地は東京湾北部千葉市付近)

安政江戸地震発生直前の地震光

当時の記録を見ると、安政江戸地震でも直前に地震光が発現しており、それが阪神淡路大震災で目撃されたものと似ている事がわかります。

品川沖にいた人の話では江戸の方に雷のように3~4か所で発光していた。

(『武江地動之記』斎藤月岑)

地震の少し前、海(東京湾)の方に、四斗樽ほどの大きさの光り物が現れた。 それが左右に分かれ、一つは房総の方に、もう一つは江戸の方へ飛んでいくように見えたが、間もなく大地震になった。

(『武江地動之記』斎藤月岑)

雷のような発光は阪神淡路大震災と善光寺地震でも目撃された現象。

また、四斗樽ほどの発光体が二方向に飛んで行ったという話は阪神淡路大震災におけるジグザグに動く発光体と似ています。

一方、現在の港区芝大門付近、かつての芝神明があった場所で目撃された発光現象は善光寺地震で目撃された火の玉とよく似ています。

友人に山田文三郎、別称は重山という人がいて、その人物は品川の宿に向かうが、芝神明の前を過ぎたあたりで、頭の上にグーンという音が聞こえた。 ふりかえると、振子の大きな頭ほどの坊主の首、火のついたる木をくわえて、東から西へ飛んで行った。 体の半身は見えて、下の方は見えなかった。 重山はこれを見て、顔面土色にかわるように動揺して、道中を急いでいたら、大きな揺れに襲われた・・・

(『地震なまず 時雨の袖』武者金吉)

「坊主の首が火のついた木を加えて飛んで行った」と表現されていますが、これは恐らく善光寺地震でみられた火の玉と同じ現象を指しているのでしょう。

また、「重山はこれを見て、顔面土色にかわるように動揺して」という記載から、非常に稀な現象だったことがわかります。

安政江戸地震発生中の地震光

遊女達が活躍する歓楽街だった当時の吉原付近(現在の台東区内)では、安政江戸地震発生中に次のような光景が目撃されていました。

新吉原日本堤は地震でとりわけおびただしく揺れた。 大地がたちまち裂けて、白い気が発せられた。 それは斜めに飛び去り、八方へ散っていったがすさまじく光を発していた。

(江戸大地震末代噺の種)

避けた大地からすさまじい光が飛び出したようですが、これは善光寺地震時の山間部や田んぼで起きた現象と酷似しています。

地震光の正体は地中で発生した電磁波やプラズマだと考えられており、それらが地表に放出される際に激しく光るのではないでしょうか。

まとめ

この記事では、江戸時代におきたMEGA地震の記録をもとに、当時目撃された地震光についてご紹介しました。

稀な発光現象が地震発生直前と発生中に集中しているわけですから、もはや関係があるのは明らか。

MEGA地震から命を守るには前兆現象をしっかりとらえていち早く防災行動をとることが一番です。

地震光はMEGA地震の前兆現象ですから、もし目撃した場合は速やかに行動をおこしてください。

次回は三河地震で目撃された地震光に関する証言と、そこから得られた教訓をご紹介します。

●作成者プロフィール

原 経厳・・・元番組制作ディレクタープロデューサー、長年にわたり地震前兆関連の調査・取材等を続けつつ、現在はフリーで映像コンテンツ制作プロデュース、短編映画製作プロデュース等に携わる。

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